本義足、やっと完成 |
僕は右足断端部を皮膚移植していたため、義足を履きだした当初は皮膚が弱く、トータルコンタクトの義足が作れず、膝下の腱で荷重を受ける訓練用義足を作りましたが、もう、皮膚も大分厚くなってきたため、本義足は断端部全体で荷重を受けるトータルコンタクトのものになりました。
そもそも、何で1C40Cの許可が下りなかったという所なのですが、本義足は身障者手帳で作ります(ちなみに、訓練用義足は健康保険で作らねばなりません)。
僕の場合、那須町に申請をし、那須町は栃木県のリハビリセンターにお伺いをたてるという流れです。そこで「入院中にその足部は必要がないだろう」という判断が下されてしまったのです。病院内で生活する分にはオーバースペックだと言うのです。
しかし、いきなり高性能の新しい足部が来たからといって、すぐにスタスタと歩けるようにはならないのです。特に僕の場合は両足義足ですから、相当なトレーニングが必要です。「社会復帰のために、今から性能の良い足部で訓練する必要がある」と僕の担当の理学療法士Tさんがいくら説明しても、お役所サイドは「退院してからじゃないとダメだ」の1点張りです。
「では、どのくらいのものならいいのか?」との問いに帰ってきたのが「短軸型のものなら、許可が下りる可能性がある(前例がある)。また状況が変われば(退院すれば)、再度、申請もできる」とのことでした。よって、とりあえず入院中は短軸型のもので訓練して、退院時により性能のいいものを申請しようということになったのです。こんなやり取りを1ヶ月続けていたので、本義足の完成が遅くなってしまったのでした。
ところで、確かに僕のように入院中に本義足を作るというのは、かなり珍しいことのようで、大多数の脚を失った患者は、退院してから本義足を作っているようです。よって、理学療法士の方たちも「本義足を実際に目にしたことはない」という人ばかりです。
では、なぜ、僕が入院中に本義足が作れたかという所なのですが、通常、足の切断の場合、病院(回復期病棟)にいられるのは6ヶ月までなのです。足を切断して、6ヶ月というと、まだ訓練用の義足を履いている時期なのです。
僕のように両足切断のうえに頸椎損傷という大きな「おまけ」が付いている重篤患者は、とても6ヶ月では退院して社会生活を送れるようになりません。そういう場合には、医師の判断で、リハビリの時間は最大でも回復期病棟の3分の2になってしまいますが、養療期病棟に移り、リハビリを続けることができるのです。
この制度自体は良く出来ていると思いますが、それに付随する身障手帳がらみの運用がよろしくありません。「原則、本義足は退院してから」というのは、社会復帰を目指そうとする障害者の立場に全く立てていません。このあたりは、改善してもらいたいものです。
長くなっちゃったので、つづく。